目次
- 産科医療補償制度の申請期限が迫る中
- 手に汗を握っていた、いつもの診察室の前で
- ついに診察室へ
- この体験から学んだこと
産科医療補償制度の申請期限が迫る中
(2025年2月初旬)
あれから数週間が過ぎた。今は2月。
雪が溶け、春が来たら、息子は5月で五歳になる。
息子の誕生日までに、産科医療補償制度の申請手続きを終えなければならない。
次のステップは七か月から息子を診てくれている主治医に制度について医師相談することだ。
息子には主治医の先生が2人いる
- ひとりは遺伝子専門家の先生ー七か月から
- もうひとりは小児リハビリの先生ー2歳から
「主治医に制度について直接相談する」ということは、心理的なハードルが高く、心が落ち着かない日々が続いていた。
なぜなら、主治医に相談するということは、これまでの診断を疑うということだからだ。
できれば、こんな面談は設定したくなかった。
でも、いろいろと迷っていては手続きは前に進まない。
前回の電話の時に対応してくれた看護師さんの言葉に気持ちを支えられながら、面談当日を迎えた。

手に汗を握っていた、いつもの診察室の前で
診察室の前で順番を待つ間も気持ちの迷いは消えなかった。
やっぱり、産科医療補償制度を申請するのはやめた方がいいんじゃないか。
頭の中の自問自答が止まらない。
この日、私は主治医に制度のことを自分から相談すると決めていた。
でも、医療のプロである主治医にそんなことを聞いていいのか。
知識もない私がそんな話を切り出すなんて、失礼に思われるんじゃないか。
先生になんて言われるんだろう。と、想像すると不安で仕方がなかった。
だけど、息子を出産した産科に相談したときの看護師さんはこう言ってくれた。
「今は診断名がついていなくても、出産時の振り返りが必要になることもあります」
「脳性まひと診断されたときに、すぐに申請手続きができるように準備しておきましょうね」
看護師さんがそういってくれたんだから、今ここに私がいることに間違いはないはず。
そう思うようにした。
ついに診察室へ
診察が始まった。
先生のいつもの穏やかな声を聞いたら、少しだけ安心した。
私は、できるだけ丁寧に、言葉を選びながら話し始めた。
「産科医療補償制度というものを知りまして…、お伺いしたくて…」
「確定診断はまだ出ていないんですが、成長が少しゆっくりで…」
先生は私の話をさえぎることなく、うんうんと静かに聞いてくれた。
それから、こう尋ねられた。
「九ちゃんが生まれたとき、出産に関して何かトラブルがあった記憶はありますか?」
私はハッとした。
そうだ、そう聞かれたのは初めてじゃない。最初に病院にかかったときも、同じように聞かれたことを思い出した。
「…私の記憶のかぎりでは、特に何もなかったと思います」と答えた。
先生はゆっくりうなずいてから言った。
「そうですか。やはり僕としては、九ちゃんの状態は、遺伝的な要因から来ている可能性が高いと考えています」
「だから、産科医療補償制度の対象には、該当しないのではないかと思います」
そう言われたとき、なんだか少しホッとした。
「やっぱりな…」と、心の中で思ったのだ。
制度のことを調べる中で、何度も「私なんかがこんなことをしていいのかな」と思っていた。
通常分娩だったし、大きなトラブルもなかった。
医療の知識もない私が、お世話になった病院のことを”振り返る”なんて、それってまるで疑っているように思われるんじゃないかって——
でも、息子の親亡き後の将来のことを思うと、何かできることがあるなら、やれることは全てやろう。
そう思っていた。
看護師さんの言葉がなかったら、私は主治医にこの話を切り出せなかったと思う。
結論として、先生ははっきり「協力はできない」と言った。
けれど、「お母さんが気になるのは当然ですよ」とも言ってくれた。
そう言う風に言ってくれた先生の言葉がありがたかった。
息子のためにできることを、自分なりにちゃんと考えて、行動に移せた——
そのことが、自信になった。
行動してよかった。そう思った。
この体験から学んだこと
親として「わからないから聞かない」ではなく、「わからないからこそ聞く」という姿勢の大切さを実感した。
医師から明確な診断結果をもらえたことで、次にどう動けばいいかが見えてきた。
場合によってはセカンドオピニオンという選択肢もあることを知った。
たとえ結果が思っていたものと違っても、行動したこと自体に意味がある。
息子と歩むこの道のりで、また一つ大切なことを学んだ2月の日だった。
VOL.6では、この相談を経て見えてきた新たな選択肢について綴ります…